カツオが上がると、街が変わる。 上がるたびに、街が一段、夏に近づく。
気仙沼では、生鮮カツオの水揚げが28年連続日本一だったが、昨年その記録が初めて途切れた。 不漁の年だった。 でも今年はまた水揚げが始まって、街に活気が戻ってきている。
今年、初鰹を食べた。
思い出すのは、何年か前のある夜のことだ。
高知、宮崎、三重といった遠方から来た漁船が、北上しながらカツオを追い、気仙沼に水揚げする。 船が港に近づくと、船頭からスナックのママに電話が入る。
「ママ、カツオ食べるか?」
ママからすればカツオも欲しいが、船の人たちが飲みに来てくれるのがもっと嬉しい。
「欲しい欲しい、来て来て」
そんなやり取りをしながら、夜、カツオを持った船の人たちがなじみのスナックへ散っていく。
その夜、俺もそのスナックで飲んでいた。 店に入ったとき、ママに声をかけられた。
「今日カツオいっぱいあるんだけど、いらない?」
ぜひもらっていきます、と答えた。
船の人たちで店は賑わっていた。 閉店近くに客が引けて、最後に俺一人になったとき、ママが厨房の奥に引っ込んだ。
半身だろうと思っていた。 さばいた状態で、それをもらえるんだろうと。
ママが持ってきたのは、丸ごとのカツオだった。
まさかのお頭付きである。
片手に1本ずつ、尻尾を持って。
「こんなにもらっていいんですか」
「大丈夫、大丈夫、裏にまだ10本あるから」
……10本。
問題は、持ち帰り方だった。
ゴミ袋を2枚もらって、1本ずつ入れた。 カツオは1メートル近い。
俺は両脇に1本ずつ抱えて、深夜2時の気仙沼を歩いた。
ロケットを2本、両脇に抱えているようだった。
帰り道に派出所があった。
俺は両脇にゴミ袋を抱えて、その前を歩いた。
袋からは血が滴っていた。
外から見たら、死体でも運んでいるように見えたと思う。
まあ、確かに死体ではある。魚だけど。
カツオは、無事に帰宅した。 冷蔵庫に入らなかったので、台所のシンクに2本突っ込んだ。
翌朝、母親がさばいていた。
「こんなにあるから、おすそ分けするわ」と言っていた。
カツオの季節、この街ではカツオがいろんな形に姿を変えながら、あちこちの家を回っていく。
気仙沼では、カツオは魚であり、季節であり、人のつながりでもある。
新聞には、たぶん載らない。
でも、こういう話のほうが、その街のことをよく伝えている気がする。
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たしかに死体…(笑)ですね。
「まあ、確かに死体ではある。魚だけど」
カツオの大きさをおもわず、想像しました。
なんか、すごい大きいですよね。
両脇に2本、血が滴っているカツオ・・・
カツオ、いつも切り身しか見たことがないので、想像の翼が広がり面白かったです。
心が動く記事をありがとうございます。